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しょくらあとが食べたい

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長崎の、とあるカフェで向かい合ってココアを飲んでいる男性。
突然、「しょくらあとが食べたい!!」「しょくらあと?なんだ、それは?なにをわけの分からないことを言っているのだ?ついに頭がおかしくなったのか?」 それを聞いた男が言う。すかさず言い返す、「いや、頭はおかしくなってないよ」 それを聞いた男の頭は、?がたくさん浮かんでいたのだった。
ちょっとした寸劇でしたが、その男が言った「しょくらあと」 いったい何のことだったのでしょうか?
日本に伝来したのは、江戸時代、1797年(寛政9年)3月末日のこと。
長崎の寄合町の記録「寄合町諸事向書上控帳」に寄合町の遊女、大和路がオランダ人(阿蘭陀人)より貰い受け、届け出た品物の中に「しょくらあと、六つ」との記載があったとされ、男が言ったそれは史科に記された日本で最初に伝来したものだったようです。それと同じ年、6年間遊学した廣川獬(カイチ)が、そこに住んでいた間、見聞きしたこと、自分で調査したことを書いてまとめ、それから3年後の寛政12年(1800年)に「長崎見聞録」として発刊し、さまざまな物が紹介された文物の中に「しょくらとお」の記載があったそうです。先に紹介した遊女、大和路も、京都出身の人廣川獬(カイチ)も、最初にそれを体験したのではないか?と思われますが、どこにも体験の記載はないそうで、1867年にパリで開催されていた万国博覧会に幕府の代表として参加していた15代将軍、徳川慶喜(よしのぶ)の弟、徳川昭武(あきたけ)が「徳川昭武幕末滞欧日記」の文中に、パリで留学生活を送っていた1868年(慶應4年)にフランスシェルブールのホテルにて「朝8時、ココアを飲んだ後、海軍工廠を訪ねる」と記しているそうで、これがそれを体験し、記した最初の文献であり、江戸時代最後の記録なのだそうです。
何のことなのか、さっぱり分からない男は言うのだった。
「頭はおかしくなってない?じゃあ、なんなんだよ?その、しょくらあとって?」男が返す。「え?チョコレートのことだよ。江戸時代にオランダ人から遊女に渡された品物を届け出た中に「しょくらあと 六つ」って書いてあったのさ。きっとその遊女が書いたのかもしれないよ?」「チョコレートだって?でも、いきなり、しょくらあとって言われてもなぁ…」
男は、ふと思い出した。「ああ、彼は長崎の歴史や文化、昔の言い方が好きな男だったなぁ、そういえば…」
チラッと目をやると、その男は得意げに微笑んでいたのだった。
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